批判と誹謗中傷の違いとは?

   

批判と誹謗中傷の違いとは?

世の中、「批判」というものがある。

―誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと―だが、これをはき違えている人間が多いのではないだろうか。いわゆる「炎上」に関しては「批判」の域を超え、「非難」や「誹謗中傷」にあたるのではないだろうか。

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批判するのに必要な要素とは

「批判」するには少なくとも2つの要素が必要となる、と私は考える。「客観的な事実」と「対象に対する理解」だ。嘘偽りから批判することはできないし、また無知から批判することはできない。

客観的事実とは

「客観的な事実」とは、「誰がどう見てもそうであることが確認できる事実」のことである。これにあたらないものは「意見」「感想」などと呼ばれる。これらだけで構成されたものは「批判」ではなく、ただの好き嫌いの問題であり、もしそれを強引に「批判」として主張するならばそれはただの嗜好の押しつけに等しい。

対象に対する理解が批判するのには必要

続いて「対象に対する理解」だが、これはつまり「批判する対象についてよく知っているか」である。無知な人間が批判対象をよく知らず批判するほど滑稽なことはない。言葉の響きだけで批判したり、内容もよく見ないままに誰々が言ったかだけで批判したりする、こんな批判はもはや批判でもなんでもなく、ただけなしたいだけだろう。

「お前がやれ」という言葉の無意味さ

このように書くと、「(そんなこと言うなら)お前がやれ」という反論もあるが、そんなことを言えば、一般人は批判を許されないということになる。これはおかしい。野球の批判ができるのは野球選手だけだろうか。

そうではない。ただ、にわか知識しか持っていない人間が勝手な決めつけで批判するのがおかしいってだけで、正しい知識さえ身につけていれば、自分に批判対象を実行する能力があろうとなかろうと批判はできるはずである。

まとめ

私は「批判」という行為は本来褒められるべきものであるはずである。それが相手に改善を促す契機となり、それはよりよい社会に近づくものであるからだ。ただ「批判」でない「非難」や「誹謗中傷」はむしろ相手を逆上させてしまい、無意味どころか社会にとってマイナスとなってしまう可能性だってある。
従って、「批判」が「誹謗中傷」にならぬよう、十分注意すべきである。

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